大正2、3年頃。
まだ福田大観と名乗っていた若き北大路魯山人は、長浜の紙文具商 河路豊吉にその才能を見込まれ長浜をはじめ湖北地域に逗留していました。
その際、当蔵12代八郎とも交流があり、「七本鎗」「酒猶兵」の作品を残しております。
自然に恵まれた近江での河路との出会いがきっかけとなり、長浜•京都•福井•金沢•山代でその天分を開花させていきます。

作風に最も勢いがあり、ハングリー精神があった頃の魯山人の作品の下で、酒造りを出来ることを嬉しく思い、その気迫には刺激も受けます。

※一部のラベルに魯山人の篆刻の文字を使用しています。

扁額「酒猶兵」(1913年)魯山人が八郎へあてて書いた

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